平成から令和へ

インタビュー・平成、そして新時代

まだ序章、
日本から超革新的なものを


メルカリ会長 兼 CEO山田進太郎

山田進太郎

平成の後半、時価総額が10億ドル以上で、未上場のベンチャー企業は「ユニコーン企業」と呼ばれ、次なる革新の担い手として市場やメディアの注目を浴びるようになった。その代表格だったメルカリは昨年、上場し、海外市場を見据えている。到来する新時代、いまだ世界的なサービスを生み出せていない日本勢にチャンスはあるのか。創業者の山田進太郎(41歳)に、新時代の展望を聞いた。

平成25(2013)年のスマートフォン向けフリマアプリのサービス開始からわずか5年。昨年6月、国内最大のユニコーンとして一手に市場からの期待を背負っていたメルカリが上場を果たし、時価総額でマザーズ首位に躍り出た。平成終盤の星となったメルカリだが、じつは創業者の山田進太郎は、平成12(2000)年前後のITバブルのころからインターネット業界に身をおき、その栄枯盛衰を冷静に見つめてきた経緯がある。

ウェブサイトの運営や制作受託を手がける傍ら、渡米を繰り返していた山田は平成17(2005)年から、「世界中で使われるインターネットサービスをつくりたい」と本格的にインターネットサービスを手がける。携帯電話向けのゲームがヒットすると、平成22(2010)年に米ゲーム大手に売却。世界一周放浪の旅を経て、改めて世界を見据え、メルカリをつくった。遅咲きとも爪を隠していたともいえる山田の目に、平成という時代はどう映っているのだろうか。

「ユーザー側」として享受していた大学時代

山田さんが小学校高学年のころに平成が始まり、高校時代からインターネットが徐々に普及しました。インターネットに触れ始めたのはいつですか?

山田当時は「MSX」機だったと思いますが、小学校のときから家にパソコンはありました。高校になると「PC-98」シリーズを持っていたと思いますが、ほとんどゲームしかしてないんですよ。パソコン通信はやっていなくて、ひたすら『三國志』』『シムシティ』『A列車で行こう』とか、そういうシミュレーションゲームみたいなものをやっていました。

早稲田大学に入学したのは平成8(1996)年4月で、インターネットに初めて触れたのはそのときです。「Windows95」が出て、「Netscape」が出てきたタイミング。当時、慶應義塾大学のSFC(湘南藤沢キャンパス)でインターネット利用が進んでいて、早稲田は出遅れを挽回しようという時期で。たしか慶應でもSFC以外は有料だったメールアドレスを、早稲田は全学生に無料で配るみたいなことをしていました。

早稲田大学在学中の山田(左)(提供:山田進太郎)

学生はそれで、メディアネットワークセンターというのが早稲田にあって、自由にインターネットが使える環境でした。初めは、とりあえずNASAとかホワイトハウスとかのホームページを見て、「すごい」となって。夏くらいに新しい自分のパソコンを買って、そこから自分でホームページをつくったりしていきました。

在学中は、早稲田大学のポータルを目指した「早稲田リンクス」というサークルの代表をやったり、マンションの一室に友人とこもって早稲田大学のサークル活動を動画も交えて紹介するデジタルマガジン「A/D」の制作に没頭したり、卒業後は起業して、後にぴあに売却した映画評論サイト「映画生活」を立ち上げたりと、早い段階でインターネットやデジタルにどっぷりと浸かっていきました。最初から提供側の意識があったのでしょうか?

山田難しい質問ですね。基本的にはユーザー側の意識だったと思います。というのも、学生時代から、いろいろなサービスやサイトをつくってきましたけれども、たとえば映画のサイトでいうと、もともと僕は映画がすごく好きで、いろいろな人が映画の感想を書くサイトがあれば、もっとおもしろい映画に出合えるかもしれない、と思ったから好きでつくったんですね。

その後もモバイルでポチポチするだけで気軽に遊べるゲームがあったらいいなと思うからつくってきた。もちろん、それが仕事になっていきますが、夢中になれるものがあったから、ずっとそれを天職だと思って続けてきているわけで、やっぱりユーザーとしての視線というか意識のほうが強いかなという気はしますね。

インターネットが好きだからつくっていた

卒業したのは平成12(2000)年で、学生時代はまさにITバブル絶世の時代でした。当時から、いまのような未来が来る確信はあったのでしょうか?

山田インターネットがここまで当たり前のものとなるとか、スマートフォンが出てきてみんなが持ち歩いているとか、そんなことはまったく想像しなかったですね。僕らは、べつに業界が狭かろうが大きくなろうが、インターネットが大好きだし、好きだからつくるし、という感覚なんですよね。

たとえばミュージシャンって、べつに音楽業界やマーケットがどれくらい大きくなるかなんてことをいちいち常に考えて作品をつくっているわけではないと思うし、それは映画でもなんでも同じだと思うんですね。たまたま好きでいた業界が大きくなっていって、パイも大きくなっていった、みたいな感じです。

そもそも、僕はけっこう保守的で、まず就職しようというマインドがあって、広告会社でネット広告の仕事ができたらいいなとか思いながら就職活動をしていたら、「みんなの就職活動日記」や、後に上場するユーザーローカルを立ち上げた伊藤将雄さんから楽天を紹介してもらって、内定をいただいて。

それで、当時、二十数人しかいない楽天で数カ月、内定者インターンとして働いたこともありますが、そのときは、この会社がすごく大きくなって銀行も証券もプロ野球も持って、みたいなことはまったく想像していなかった。そういう片鱗があったのかもしれないけど、いま考えれば、当時の自分は未来に対してすごく過小評価をしていたんじゃないですかね。

創業後まもないころ(1999年11月)の楽天(写真:読売新聞/アフロ)

「ビットバレー」組との交流から影響

その楽天の内定を辞退して、起業の道へと進んでいきます。

山田当時は、「ビットバレー」の中心にいた先輩が周りにたくさんいて、けっこうかわいがってもらっていたんですね。いまはヤフーでコマースをやっている小澤隆生さんとか、ネットエイジの松山太河さんとか。松山さんを通じて、ネットエイジでアルバイトをしていたいわゆる「ナナロク世代」の、ミクシィを立ち上げた笠原健治さんや、グリーを立ち上げた田中良和さんとも交流はありました。

やっぱりそういう人たちと交流していると、みんな会社をやっているし、インターネットのことをすごく信じて自分でなにかをやっているから、だったら僕もとりあえず辞めて、なにか自分でやろう、みたいな感じで、卒業直前の2000年1月に楽天の内定を辞退しました。ちなみに、僕が担当していたオークションサイトの仕事を引き継いだのは、2000年2月に楽天に入社した田中さんです。

楽天でインターンとしてオークションの立ち上げをやって、結果としては「ヤフオク!」にこてんぱんにされたんですけれど、「このくらいのサービスならつくれちゃうな」と勘違いしたところもありまして。若気の至りが重なっての辞退でした。

ただし、ちょっと距離がある

ビットバレー組から刺激を受けた山田さんは、そこから日本のインターネットサービスをつくる主役の一員、という感覚になっていったのでしょうか?

山田僕は学年でいうとナナロク世代のひとつ下で、たぶん、距離があるというか、なにかちょっと違う感覚なんですね。僕は常に後輩みたいな。今でもそうなんですけれども。というのも、卒業したころ彼らは、インターネットに賭けるぞ!みたいな感じで社会人としてガンガン仕事をしていて、がっちりやっていた。

一方で、僕はまだ学生気分が抜けきらないというか、仕事でウェブサイト制作を受託する傍ら、映画のサイトをつくったり、レストランとか不動産とか、ほかにもなにかおもしろいことがあるんじゃないかと思ったり、という感じだったんです。

それが3年くらい続いて、平成16(2004)年に米国へ移住しようと決意して。ウェブデザインの会社で仕事をしたり、インターネット界隈の人との交流を続けたり、実際に日本食レストランを立ち上げようとしたり。ですから卒業後の4年間は、人を雇ってスタートアップをやる、というところにはいかず、フリーランスが大きくなって、いろいろなことを模索すること自体が楽しかった、という感じです。


こうした “インプット”の時期を経て、「世界中の人に愛されるインターネットサービスをつくりたい」という思いを確たるものとした山田は、平成16(2004)年暮れに帰国すると、大学卒業後につくっていた自身の会社、ウノウをベースに人を雇い、本格的にサービスをつくる側にまわった。ウノウで携帯電話向けゲームのヒットを飛ばし、平成22(2010)年に米ゲーム大手へ売却。世界一周の旅を経て、スマートフォンで人々があらゆるモノをやりとりするサービスのアイデアを思いつき、平成25(2013)年にメルカリを設立する。

平成は個人のエンパワーメントを促進した時代

メルカリの起業ストーリーや、その後の成功秘話は、ちまたにあふれているのでここでは割愛させていただきますが、山田さんにとって平成とは、どういう時代だったのでしょうか?

山田やっぱりインターネットって個人へのエンパワーメントというのをすごく促進したと思っています。昭和の高度経済成長がばーっとあって、そこから一気に多様化するなかで、インターネットによって個人が力を持つということと、平成という時代は、けっこうオーバーラップしているという感じがしますよね。

今は特にスマートフォンとかが出てきて、さらにそれが加速して、個人がすごく強くなったり、多様になっていったみたいな、そういうある種の転換期、転換としての平成みたいなイメージです。

新時代、予想がつかないものになる

ということを踏まえて、新たな時代は、これから長く続いていくインターネット史においてどういう時代になると思いますか?

山田ちょっと月並みかもしれないですけれど、「IoT(モノのインターネット化)」によって、当たり前のようにあらゆるモノやサービスがインターネットにつながって、「AI(人工知能)」も当たり前のように普及した結果、また想像もできないことが起こりそうだ、という感覚が強くあるんですよね。

そういう意味でいうと、もちろん個人がすごくエンパワーされて、モバイルインターネットになって世の中が変わったけれども、それはインターネットが始まったころからすれば予想の範囲内というか、序章みたいな感じで、これから想像の枠を超えた、予想もつかないことが次々と起きるんだと思います。

環境に溶け込んだ音楽のジャンルを「アンビエント」と言ったりしますが、そこらじゅうがインターネットにつながっていることが前提の「アンビエント情報社会」に向かっていくのは間違いなくて、僕はすごく楽しみだなと思っているし、そういうなかで自分は何ができるのか、というのを考えていきたいなと思っています。

メルカリはまだ土台ができたにすぎない

そこで、メルカリという組織、あるいは山田さん個人に話をもっていくと、平成で何をやり残したのか。そして、次の時代に何を完遂したいのでしょうか。

山田まず、僕自身の感覚としては、ベーシックな土台はできてきている。それは、家で言うと「基礎」みたいな話でしかなくて、これから本当に家を建てていく段階。まだ何もできてないけれど、でも土台や基礎がないことには、上に家を建てることもできない。そういう意味では、「チケット」は手に入れたけど、まだ会場に入ってないという感じなのかなという気はします。

メルカリは2018年、東証マザーズに上場した(写真:毎日新聞社/アフロ)

で、なんのチケットなのか、というと、「新たな価値を生みだす世界的なマーケットプレイスを創る」というミッションを達成するためのチケット。米国でも欧州でもアジアでもみんなが知っていて使っている、という状態を生み出さなければ、「世界的な」とはいえません。それを、当然、新時代のなかでやり遂げたい。

いまは、テクノロジーをつかって、個人が簡単に出品できたり、購入できたりする「CtoC(個人間取引)」のプラットフォームを運営していますが、自分たちがインターネットの性質を使ってできることというのは、本当に大きいと思っていますし、個人へのエンパワーメントという意味でも、いろいろできることはある。

決済サービスの「メルペイ」を本格的に始めたばかりですが、その文脈でいうと、個人だけじゃなくて、加盟店側の企業のエンパワーもできるようになってきている。そこってすごい可能性があるし、まだまだ本当に始まったばかり、ゼロみたいな感じかなと、最近はけっこう思っています。

明るい未来が待っている

世界のインターネット産業を見渡すと、そこにおける日本の存在感は小さいと言わざるを得ません。

山田たしかに、これまでのインターネットって結局、米国から生まれ、世界に広がっているところがあると思っていて。やっぱり日本から超革新的なものとかサービスって平成のあいだには出てこなかったのかなと。でも、これからの時代は、日本発で世界中まんべんなく使われるものが出てくると思っていますし、僕らがなんとかしてその先鞭をつけたい。

2018年10月の入社説明会、外国籍の新卒社員が多いことが話題になった(提供:メルカリ)

世界中で使われるようなマーケットプレイスをつくりましょう、というのをとにかくやっていって、それが実現できれば、「メルカリにできたんだったら、僕らもやろうか」みたいな若者が大量に出てくるんじゃないかと思いますし、メルカリの社内を見ても、いまの20歳代は極めて優秀な子が多いと実感しています。

そういう人たちの能力をもってすれば、グローバル市場にも対応できるはず。20年、30年後は、すごく明るい未来が待っているんじゃないかなと思うし、多様な文化を持つ日本の強みが生かされる時代が来るんじゃないかなとも思っています。

「GAFA」は追いつける存在

メルカリはすでにAIの開発に力を入れていますが、世界を席巻している「GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)」は、これからのAIを含む第4次産業革命でもキープレーヤーになろうとしています。日本勢に勝ち目はあるのでしょうか?

山田さっきの話じゃないけれど、これまでがインターネットの序章だと考えるのであれば、この先の変化ってすごく大きいと思うんですよね。たとえば昔だって、「ウィンテル」にもう誰も勝てないんじゃないか、と思われていた時代がありましたが、インターネットの時代となりヤフーやアマゾンが出てきて、そのうちにモバイルになって、アップルやグーグルがOSまでつくるようになって。

GAFAのなかでフェイスブックは比較的新興の会社だけれど、列強の一角に食い込んでいるわけで、たぶん今後も食い込む会社も出れば、脱落する会社も出る。だから、そこはあまり心配してないというか、社会に求められるサービスをつくっていけば、いつかは追いつける存在じゃないかなと。死角がないと思われているときほど、けっこうチャンスはあるんじゃないかという気がしています。

GAFAにマイクロソフトの「M」をつけて「GAFAM」と呼ぶこともありますが、その「M」がメルカリになる可能性も?

山田まあ、そうですね(笑)。なれたらいいのかもしれませんけど、最近は「ビットコイン」に代表されるブロックチェーンのように、「ディセントラライズ(非中央集権化)」みたいなことも言われているわけで、もしかしたら未来の主役は企業ですらないのかもしれません。だから、いろいろな展開があるかなと思っています。

著者・編集:井上理 / Yahoo! JAPAN
写真:殿村誠士(別途記載の写真を除く)