平成から令和へ

インタビュー・平成、そして新時代

伝説のゲーマーが
勝利した「最大の敵」


梅原大吾

プロゲーマー

日本初のプロゲーマー・梅原大吾(37)。格闘ゲームを主戦場としてeSports誕生前夜から現在までトップクラスの活躍を続け、1人のアスリートとして彼を尊敬するファンも多い。

勝利すること、強さとは何か。多くの人からそう問われる。だが梅原自身は「負けるのは悔しいが、勝つだけではつまらない」と、勝利そのものには執着しない。むしろ、目先の勝利だけを追求することの虚(むな)しさを説く。

平成に生まれ、次の時代における成長が期待されるeSports。その伝説のアスリートに、先の見えない次の時代に、前に進むために必要な強さを聞いた。

世界一になった喜びより、寂しさのほうが強かった

「eSports」という言葉が生まれるはるか昔の1998年。ゲームで食べていくことがまだ夢だった時代――。梅原は、格闘ゲーム「ストリートファイター II」初の世界大会「STREET FIGHTER ALPHA3 WORLD CHAMPIONSHIP」で優勝した瞬間のことを、こう思い返す。

旅が終わったような気がした――。

当時の17歳の梅原が想像していたのは「まだ見ぬ自分よりはるかに強い敵、自分が想像もできない戦い方で挑戦をしてくる対戦相手の出現」だった。だが、世界一の称号を手に入れてしまったとき、「これ以上探しても、もうそんな奴は出てこない」。

「何度世界一になっても世間は『しょせんゲームでしょ』という雰囲気。親戚の集まりで『それでも、なんでも世界一になるっていうことはすごいこと』とフォローを入れられ、恥ずかしかったことを覚えています」

梅原を伝説に変えたのが、2004年に米国で開催された「The Evolution Championship Series(以下EVO)」の試合で見せた「背水の逆転劇」だ。1つでも操作を間違えると即敗北の状態から、相手の連続攻撃を防ぎきって勝利を収めた。この勝負は梅原の代名詞となり、YouTubeでの再生回数は500万回を超え、「最も視聴されたビデオゲームの試合」のギネス世界記録に認定された。

梅原(ケン)対ジャスティン・ウォン(春麗)「背水の逆転劇」、梅原はジャスティンの鳳翼扇を全てブロックし大逆転のコンボで勝利した
(©CAPCOM U.S.A., INC. ALL RIGHTS RESERVED.)

昔のように勝てなくなっても、今のほうが面白い

全世界で300万本以上が販売され、100万人近いユーザーがネット対戦している「ストリートファイター V」。梅原はこのゲームを主戦場として、さまざまな世界大会に参加している。2018年の世界ランキングでは10位。圧倒的に強かった昔と比較すると状況は厳しい。だが、昔のように勝てなくなっている自分の状況を冷静に分析し、むしろ楽しそうに話す。

「RAGE STREET FIGHTER V All-Star League powered by CAPCOM 」に出場中(写真提供:RAGE)

「一番楽に勝てていたのは10代のころでした。年齢のおかげだったのか、真剣にゲームに取り組んでいる人が少なかったのか。おそらくその両方だったと思いますが、とにかく負け知らずで勝ちに勝ちましたね。

今はそのころに比べると、いうまでもなく勝率が下がっています。僕が一番勝てていたころの勝率は95%以上ありましたが、今は自分を含むトップ選手の勝率はおよそ60%くらいと拮抗している。競技人口が格段に増え、実力のある人たちがたくさん出てきた。時代が変わってきています。

今はプロなので、当然勝つことが仕事になっています。ただ、仕事としてゲームをしている自分とゲームが好きでやっている自分、どちらかと考えると、やっぱりゲームが好きな自分のほうが大きいんです。

まだ見たことがない、とんでもない戦い方があるはず。それを探求し続けることが喜びで、だから、対戦相手が強い今のほうがはるかに面白く、やりがいがあります」

台湾で開かれた国際大会でファンと交流する梅原。訪れる先々でサイン会が開かれ、長蛇の列ができる(写真:Cooperstown Entertainment, LLC.)

ネットが生んだオープンな世界

インターネットは梅原をスターダムに押し上げた。一方で、これまでの「圧倒的な」強さも奪った。

「今は、あらゆる情報がどんどん外に流れていく。皆、やはり対戦が好きなので、今のほうがいいという雰囲気はあります」。インターネットを通じた情報の共有が、競技のレベルを上げることを歓迎する。

自分一人でノウハウを抱え込んでいても、オープンな人たちが切磋琢磨すれば簡単にそのノウハウを超えるものがどんどん出てくる。「だったら、その輪に参加するほうが得ですよね。

自分自身も昔はもっと秘密主義でした。相手に知られても良いことと、知られたくないことをきっちり分けていた。でもインターネットがきっかけで自分の性格も変わったような気がします」

自身のチャンネル「Daigo the BeasTV」での練習の様子を惜しげもなく披露する姿は配信の中では人気で、新しい戦い方のヒントやキャラクター攻略について話す梅原は、まるで子供のように楽しそうだ。

いびつでも長所があると面白い

一方で、危惧することもある。勝つことだけを目指す若手が、自身のスタイルを見失ってしまい、競技そのものの魅力をなくしてしまうことだ。

インターネットは上下関係がなく、「とてもフェアで気持ちがいい」場所だ。

しかし「皆、どんどん中立で当たり障りのない意見を言うようになってきた。よくいえば、意見が洗練されてきた。だけど面白い意見は、勘違いから生まれるものなんですよ。他人の目なんて考えない傲慢にも取れるような暴走した意見。でも、『よくぞここまで勘違いしたな』と、悪い気はしません」

「ゲームのプレーもそれと同じだと思う。いびつだけど、一点でも長所があると面白い」。今のインターネットを通じて強くなる若い人たちは、そのいびつさが欠けてしまったように映る。そのときに残るのは「強いだけで面白くない」世界だ。

「他人の意見を反映して、どんどん強くなる。でも、それで勝てたとしても、『自分はどうして格ゲーをしているんだろう』なんて考えそうで、つまり自分のアイデンティティーを失ってしまうのでは、という危機感はあると思います」

かつてのプロゲーマーたちには、高い創造性があった。「何かを生み出すというのは特別な能力で、だからこそ、その新しいものを生み出した人のプレーは貴重なんだと思います」。強さだけではなく、そこにクリエーティビティーがあるか。その気持ちを忘れないでほしい、と願っている。

今があるのは「ラッキー」

「自分の力だけでプロになったわけじゃない」。今の立場を確認するために、心に留めているのが、この言葉だ。

米国で2003年から開催されている大会「EVO」は、梅原の人生に大きく影響を与えた大会だ。「僕はその初回大会で優勝しているのですが、2004年から数年間は、格闘ゲームから距離を置いている時期がありました。新しいゲームタイトルも少なくなって、プレー人口も減ってきた。そもそもゲームを追求しても生活していけない。雀荘で働いたり、その後は介護の仕事に従事したりと、実質引退をしている状態でした」

2010年のEVOで優勝した当時の梅原(写真:Kara Leung)

「それが、2009年に本格的にEVOに復帰したとき、続いていたどころか、年々参加者を増やして規模を大きくしていて……。それには頭が下がりましたね」

そのEVOで優勝したことがきっかけで企業からスポンサーの話が舞い込む。「EVOがなければ、プロになることもなかった。それはもう自分の力とはいえないですよ。EVOが続いていた裏にある、コミュニティーの努力や、純粋な気持ちには到底かないません」

もう一つ、梅原を救ったのが、インターネットのゲーム好きコミュニティーだ。冒頭の「背水の逆転劇」をはじめとしたプレー動画が繰り返しアップされ、梅原を伝説の人へと押し上げていた。「インターネットの影響で、いろいろな人がゲームの試合を見るようになった。そして、企業がプロゲーマーの可能性に気がづいた。インターネットがなければ、いま自分はここにはいない」

そんな自分の境遇を「ラッキーが大きい」と話す。ただ、そのラッキーを引き寄せたのは、自分の好きなゲームに真摯に取り組んだ、梅原自身の姿勢だ。

最大の敵は「世間の目」

観客も、そしてゲーム業界を支える人々、そして対戦相手すらも、梅原にとっては仲間。では、最も大きな敵はなんだろうか。

「ゲームは体を使わないし、死にそうな思いもしない。勝つために頭は使うけど、世の中で苦労しているわけじゃない。おそらく自分がもっとも苦労したことがあるとすれば、それは『世間の目」だったと思います。

ずっとゲームに見切りをつけて手に職をつけるべきだ、と思いながら、そうできなかった。『ここで引き返したら、自分の人生はつまらないものになる』という予感がどこかにあった気がします」

「他人から見て『真っ当な生き方』に戻れるかもしれない、というタイミングは何度もあった」。でも、そのたびに「それは自分の好きな自分じゃない」という思いが頭をよぎった。

「その思いにしたがって意地を張ると、日々いろいろな可能性が狭まっていって、それが本当に苦しい」。梅原は結局一度ゲームをやめようと決意する。そのときに残ったのは、「自分がやってきたことは間違いだったんだという、敗北感だけでした」

好きなことを仕事にするべきか、プロゲーマーになるべきか。若い人からこう聞かれたとき、いつも、どう答えるべきかためらうという。

「僕は格闘ゲームが好きで、17歳で世界一になりました。おそらく才能もあったし、努力もしてきた。でも、それが生活につながるかは、自分の力ではどうにもならない、つまり運でしょう。だから『やりたいことをやればいい』と簡単には言えません。

ゲームに熱中し始めた中学時代(写真:Cooperstown Entertainment, LLC.)

自分の人生を費やしてきて、それを諦めるということは本当に苦しいことです。だから、人生を費やすまで気が狂ったように打ち込むなんてことはしないのが普通だと思う」

それでも、と梅原は言う。

「1つだけ得たものがありました。人の意見に惑わされず、『こうなったら自分の思うように生きていこう』という選択ができる覚悟です。いま自分が図太く生きていけるのは、『意地を張り、若いころに好きなことをやり通した』という経験があったから。それがいつの間にか自分を強く育ててくれたんです。

行き詰まって、『もっと人生に役立つことをやればよかったのに』と、後悔する日は必ずある。でも、その先に『人の目を気にせず、自分の生きたいままに生きられる』という到達点があるなら、そこを目指すのもそんなには悪くないんじゃないか。それだけは、確信を持って言えます。

どんなにお金持ちで、どんなに有名になっても、人の目を気にして生きるのは絶対に楽しくないし、窮屈なはず。好きなことに全力で取り組んで、結果、『人の目を気にせず好きに生きる』というところまで行けたなら、その人生は大成功なんじゃないでしょうか」

「そもそも、いま人気のゲームタイトルだって、3年後にはどうなっているかわかりません」。eSportsは、これから先が全く予測できない不安定な世界。だからこそ、自分の信念に沿って図太く、そして誠実に生きていれば、もし、また不遇な時代が訪れようとも再び復活できる」そう梅原は信じている。

ギネスから「ウルトラストリートファイター4での最高ランキング」「最も視聴されたビデオゲームの試合」世界で最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」に認定された(写真:Cooperstown Entertainment, LLC.)

おっさんになっても実力で勝つ

最後に。梅原にとって、平成はどんな時代だったのか。そして新しい時代に自身はどうありたいのだろうか。

「僕の目から見た平成は、ずっとゲームの話になりますね(笑)。当時の子供たちにとって、ゲームには、それまでにない新しさと特別感があった。あんな遊びはほかになかった。

格闘ゲームに熱中したのも同じ理由。ネットもSNSもなかった時代に、ゲームセンターでゲーム機にお金を入れるだけで、すぐに人と交流できる。それが当時は革命的でした。もともと僕は、人が好きなんだと思います。自宅でオンラインゲームをしても面白くなくて、いまでもついゲームセンターに足が向いてしまいますね」

そして、新しい時代に向けて梅原はこう抱負を語る。

「『世界一』『本を出す』『ギネス認定』など、分かりやすい目標は全部達成しました。よく頑張ったと思います。今は具体的に言葉にできる目標がない。ただ、これからさらに発展するeSportsの世界を、現役の目で見続けたい、という思いはあります。だから、あまり達成感を持ってはいけない」

撮影用に用意した「ストリートファイター V」で黙々と練習する梅原(©CAPCOM U.S.A., INC. 2016, 2018 ALL RIGHTS RESERVED.)

eSportsに肉体的な制限は、ほとんどないと梅原は言う。「逆に経験の蓄積がある分、自分にまだアドバンテージがある」。これからも勝つことは決して不可能ではないと考えている。

「過去の功績がある人は、実力が衰えても敬われますよね。それは僕は嫌なんですよ。いま、こいつにはかなわない、と相手に思わせたい。そう思わせる日が一日でも長く続けばいい。それが理想像。おっさんになっても実力で勝つ、そういうことを大切にしていきたいです。

だから緊張感はあります。僕はどの国でも、一番知名度とキャリアがあるプレーヤーですが、その肩書に頼らずに存在感を見せつけたい、とは常に思っています。勝つことだけが目標ではないとは言いますが、やっぱり負けるのは悔しいですから」

梅原 大吾

日本初のプロゲーマー。15歳で日本を制し、17歳で世界チャンピオンのタイトルを獲得。EVO2013で、5年連続ベスト8入りし、大会歴代記録を更新。 同大会における2年連続優勝(2003年&2004年、2009年&2010年)も歴代記録となっている。自らの勝負論を綴る多くの書籍は一般層にも広く受け入れられ、ラジオやテレビ出演をはじめ、企業や大学・専門学校からも招待を受け、特別講師としても活躍する。

Red Bull Gaming Sphere Tokyoで、インタビューアーの品田英雄(右)と談笑する梅原

著者・編集:日経BP / 博報堂 / Yahoo! JAPAN
インタビュー:品田英雄(日経BP)
写真:谷本夏

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